誰でも出来る才能の生かし方。やりがちな才能の無駄遣い。

あなたの才能は何ですか?何も才能が無い人がいるのだとしたら、むしろ完璧な人なのでしょう。どこから見ても完璧、更に完璧という才能すら消してしまえる完璧さん。それはもうこの世のものではない能力。人の欠点は長所を生みます。完璧ではない凸凹している私たちは才能の塊です。

大袈裟です

才能を発見しようとするあまりに、陥ってしまうありがちなミス。それは大袈裟に考え過ぎてしまうということです。才能は必ずしも、スポーツ選手、ピアニスト、歌手、医師、など、肩書きに繋がるものではないということ。

大きな大きな夢を見せつけられる度に、自分には何も無いと自己否定を繰り返してしまいます。肩書きはそんなに素敵なものでは無いはずです。ただの名前なので。

得意なことは必ずあります。長所が無い人はいません。なぜなら欠点があるからです。

物資的価値に変えられる才能しか許さないルール

才能を生かして社会に認められるとか、賞を取るだとか、お金持ちになるだとか、対価ありきの使い方のみ、才能認定される社会。認めてる側もただの人間なので、選んでみたり、みなかったり、褒めてみたり、けなしてみたり、まるで一貫性はありません。対価にふりまわされて才能潰ししていたらもったいないです。

使う為にレンタル中

人は自分を自分の所有物のように勘違いをしますが、借り物だとしたらどうでしょう。こんな体、こんな性格、と否定しますが、世界に自分以外自分がいないだなんて、最高に個性的です。才能も借りているのだとしたら、無碍にできません。使うためにお借りしているのです。

いっそ隠してみてはいかがでしょう

賞賛を得るために使わなくていいとは言っても、人間、認めてもらいたい生き物。いっそのこと視点を変えて、誰にも内緒でこっそりと才能を使うゲームでもしてみてはいかがでしょうか。ゴミ拾いを誰にも見つからずにする自分ルールみたいに、誰にも秘密で。

というのは冗談にしても、結果は気にせず宝を生かすのです。お金だって、どこかの誰かが勝手に決めたルールです。得意な事で一生食べていけるようにならなくては才能とは言えないと、宝の持ち腐れをしているのならなんともったいない。

徳を積むのは地味なんです

才能を使って得られるもの。徳を積むことができる、それくらいでしょう。誰かの役に立ったり、喜んでもらえたり。徳を積んで何になるかというと、現実的には正直何にもなりません。成功哲学のルールでは、才能を使って徳を積めばお金になると言われていますが、おそらく自己否定を強める方々が量産されています。一度は成功した場合でも、物的価値が目的になっていると、売り上げが落ちれば結局、才能を否定します。もしかしたら成功の最中でさえ才能を無駄遣いしているかも。才能を使うことで優しさを学んだり、豊かな経験をすることよりも、ノルマばかりフォーカスして必死かもしれません。成功って辛いです多分。精神的なものを、あまりお金に結びつけて考えすぎない方がいいです。

使いましょう。自分の才能。地味でも使いましょう。自分だけの経験ができます。小さくても。

せっかく生きているのだから。