悲しみを絵にのせてしまうのは、卑怯な気がしました。
ざわざわする心、切なさ、抱えきれない、言葉にならない思い。言えないから、伝えられないから、絵にする、音楽にする、表現をする。周りの人を自分の悲しみに巻き込んでいるのかもしれないと、思いました。
昔、知人が私の絵を見て「綺麗だね。すごく悲い。」と言いました。
悲しい絵を描こうとなんてしていなかったので、意外でした。
どうにもならない孤独感とか、本当は泣いて叫びたくなるような気持ち。今思うと、当時は全く自覚はしていませんでしたが、“誰か気づいて。助けて。”という、自己中心的な欲求を込めていたように思います。
孤独や切なさ、悲しみは、誰もが心の内側に抱えるものであるから、多くの人を惹きつけます。共鳴が起こるのです。
それによって救われることもたくさんあるのかもしれない。ただ、そこに浸っていると、どんどん落ちていきます。描く側も、見る側も。取り憑かれたみたいに、重たい空気を知らずのうちに増幅させているような気がするのです。
もしもその空気が目に見えたとしたら、きっとかなりこわい。私のお腹から真っ黒い何かが飛び出て、絵に乗っかって、絵を見た人がその真っ黒を食べて、また他の誰かに、それをうつすの。闇でしかない。それを芸術と言ったりする。
私はそういうのはもう、疲れました。
なので、
もしも悲しみを表すにしても、それをも超越する、明るい世界を表現したいと思います。優しくて、自分も、周りも、幸せな気持ちになれるものを。もしくは、前にも言いましたが、特に意味を持たないもの。まっさらで、透明な世界。みんながなんの気無しに、集まれるような。小さな輪で、平凡に、こじんまりと。
…というのが理想。