自分の画風を見つけるために。“何を伝えたいのか”が鍵となる。

絵を描く人の悩み事の上位を占める悩み事。画風が決まらない。見つからない。何を描いていいのかわからない。誰もが通る道。鍵となるのは作品を通して自分が何を伝えたいのかということです。

どうしても伝えたい、心が叫ぶあなたの思い

伝えたいことはありますか?どんなことに対して、どんな風に、あなたは語りたいですか?絵を通して世界に届けたい思いをのせるのが芸術なのだそうです。

社会へのメッセージであるかもしれないし、特定の誰かへの思いかもしれなし。自分の趣味を語るためかもしれないし、心に抱く闇を吐き出すためかもしれない。人に癒しを届けたい、そんな思いの作家もいるかも。

伝えたいを探す旅

まずは自分の”伝えたいこと探し”をしてみてもいいのでは?何に興味を抱いているのか、絵を見た人に、どんな気持ちになって欲しいのか、想像します。

何か他人の作品で感動をしたのなら、なぜ感動をしたのかを考える。(同じ物を見ても感動しない人もいる。なぜ自分は反応をしたのかを探ると、自分の心が見えてきます。)

得意な画法は?

絵は技術よりも先に述べた心が重視されるジャンルですが、技術面もひとつの判断材料になります。

得意な画法を追求する。もしかしたらその追求する姿勢こそが、あなたの語りたいものになる可能性も。(今では廃れてしまった古い時代の技法を使い続けるとか。はたまた、誰もチャレンジしたことのない革新的な技法で描く。など。)

色、質感、題材、全てが表現

どんな配色で描くのか、質感は、題材は、あらゆる小さなことが自分だけの表現に繋がります。

技術的な部分においても同じことが言えますが、やはりここでも、自分の心は何に対して動くのかという観察が大切であると思います。

鮮やかな原色が大好きだというのに、なにもパッとしない曖昧な色を選んで描く必要はないです。逆を行くのはありだと思いますが。鮮やかな原色が好きだからモノクロで描く。といった具合に。好きは嫌い、嫌いは好きの現れなので。

君はどうなんだ

わたしはどうであるかというと、正直な話、未だによくわかりません。

そもそも伝えたいことなんてあるのかと、まずはそこに疑問を持ってしまいます。探しては見るものの、探せば探すほど無い。

わたしはこれを伝えたいんだ。と

思ったりしてみたこともありますが、常に嘘っぽさが付きまといます。

強いて言うなら、何も伝えたく無いというか。…いえ少し違います、伝えたく無い訳ではない。

自分の思想、自分の思い、というよりも正しいことを表現したい…いえ、これも違いますね。

難しくて上手く言い表せません。

個人は正しくなんてなれないので、表現したくない。でもここにわたしが存在してしまっているので、理想としては出来る限り素朴に生きることができればいいのに。という気持ちです。

そうなると作品なんて作れなくなります。

なので、あまり多くの意味を含まない表現を求めます。もしくは正しくありたいと学ぶ過程が現れている、それくらいの表現だったら許せるかな。

ですが実際は何が現れているかというと、正しさではなく、間違えては悩み、壁にぶつかり、迷い、道を探そうとする、そんな滑稽な姿ばかり。

1年後、10年後があるとしたら、わたしはまた全然違う思想を語るのでしょう。だから自分の表現を叫ぶなんて嫌なのです。

無意識

と、こういった訳の分からない問いをし続けているわたしの1部が、意図せずとも勝手に絵に混ざり込んでしまっているのではないでしょうか。絵に限らず、あなたが話をするだけで、あなたの表情に、言葉に、仕草に、あなたの人生に、すでにあなたの表現が、現れてしまっているのでは。表現しないことなんて不可能なんです。

絵を描く人の悩み事。

解決し得ない悩み事。