美術館へ行くと絵が怖くて部屋に入れない

美術館に行くとどうしても入れない部屋があります。大抵の絵は鑑賞することができるのですが、たまに、どうしても入れない部屋があるのです。

意志に反して身体が受け付けない

理由はわかりません。見たいという意思とは反対に身体が先に拒絶反応を起こしてしまうのです。柵のない崖の上に立っているかのように、足が空くんでしまい、その絵が飾られている空間に入ることができなくなるのです。

ゲルニカ

ピカソのゲルニカ。箱根の美術館へ行ったとき。確かあれは現物ではなく、それと同じスケールで作られた絨毯だったかと思いますが、見ることができませんでした。キャーッ!と、叫ぶ怖さではありません。身体が動かなくなるような静かで強烈な恐怖感。本当に恐ろしかった。無条件に反応するのです。絵柄がどうであるとか、そういった分析が入る前に。

〇〇恐怖症

巨大物恐怖症なのだろうか。とも思ったのですが、別のアートギャラリーへ行ったとき、小さな映像系展示物を見ることができなかった経験があります。暗い部屋だとだめなのかと思うと、そうでもなく、すんなり見てしまうときもあり。(美術館というものは大概暗い。)

芸術とは人の心

作品が放つ雰囲気に圧倒されてしまっているのしょうか。時代を超えて作者の思想が生き続けている。それは決して美しいものだけではなく。といいますか、むしろ、芸術なんて悲しいものが圧倒的に多いわけで。

昔、海外の街並みを放送しているテレビ番組で、西洋の像が無数に並べられた小さな空間が映っているのを見たのですが、そちらも同じようにものすごい恐怖感に襲われました。画面越しにも関わらず。

もっと可愛く、非現実的に作成して欲しいです。リアルな像は怖いです。空虚で無機質な人間そっくりの入れ物に命とは別の、ドロドロした思いが込められていて、でも決して動くことはできず、そこで孤独に叫んでいるみたいな。

ニセモノゆるキャラ

でも、可愛ければ良いというものでも無いのかも。

幼い頃、デパートとかに現れる被り物のキャラクターもものすごく怖かったです。不気味で不気味で仕方がなかったのです。生き物なのか死んでいるのか、物体なのかわからない謎のゆるキャラ。

そんなことも露知らず、大人たちは言うんです。

握手してきたら?、とか、一緒にお写真撮るから行っておいでとか。

子どもが喜ぶんだろうという大きな勘違いをしています。

喜ぶ子もいるのかもしれないけれど…。私はお願いだからやめてくださいと思っていたのです。当時のわたしには勿論そんなことをうまく言えるわけもなく。

あとネズミィランドのイッツァ小さな世界も怖いんです。すごく怖いのに、お人形が笑って幸せそうにしているところが二重に怖い。と感じてしまう。

限りなくリアルであり、魂が存在しない物を人は恐怖を抱く

よくCG界隈の話で、ただリアルを追求するだけでは、逆に不気味さが増してしまうと言われています。近年のアンドロイドなどもそうですよね。限りなく人間に近いのに、人間ではない。そういったものに人は恐怖心を抱くそうです。

不気味という反応

美術館が怖い原因はよくわかりませんが、何らかの反応なんだろうなと思います。人は頭で理解せずとも、何らかの基準に沿って無意識に安全であるものと、近づいてはいけないものを判断しているのかもしれません。

普段美術館に行く習慣が無く、あまり困らないので良いのですが。