信じる、ということについて考えていました。
〜〜だから信じる、という条件付けの一歩先。
条件付けの信頼
相手のことを信じることができる条件を寄せ集めます。
優しい人だから。
真面目な人だから。
優秀な人だから。
人を裏切るような人じゃ無いから。
人を悲しませるような人じゃないから。
〜〜だから。
確かに世の中色々な人がいるので、信頼できるかどうかを条件で見極めることもとてもとても大切なのですが、家族や友達、身内になってくると、条件付けの一歩先の信頼が必要だったりします。
遠くの他人ならば、例えば裏切られたとしても、簡単に離れることもできます。
でも身内はそうもいかないし、大切にしたいと思う相手だからこそ、ネガティブな関係性に傾きそうなとき、悩み葛藤するわけです。
無条件の信頼
そんなとき、私がふと思ったのは
信じるというのは無条件でしても良いのではないか?ということ。
信頼できる要素のあるものを信じるのは簡単です。
完璧ならば初めから、信じるも信じないも無くていい。
でも完璧なものなんて、この世にはやっぱり無いから、
歪だけど信じる力って大事なんじゃないかと思うんです。
歪だけど大切な人
裏切るかもしれない。間違えるかもしれない。傷つけるかもしれない。失敗をして、潰れてしまうかもしれない。でも、信じる。
これは他人だけでなく、自分自身にも言えるのではないかと思います。
未熟で、不恰好、不完全で、間違えてばかり、優しくできない、強くなれない、でも、信じる。
そしてこの信じる、というのは、賭けのようなハラハラとしたスリル満点の感覚ではなく、“愛しい”という感覚に近いように思います。
完璧ではないあなた。でも、あなたが愛しい。
完璧でない私。それでも自分自身を愛しいと思う。
それが信じる、ということかな??
と、ふと思いました。
命そのものの輝きを、
あなた、わたしの中にある、目には見えない尊さを、信じるんです。
本当はシンプル
これは一見とても難しいことにようにも見えてしまいますが、
条件は何もいらないのです。きっと本当はすごくシンプルなんです。