ミュシャの華やかで繊細な絵。
様々いる画家の中でも、ミュシャの絵が好きな人ってとても多いのではないでしょうか。
ミュシャが活躍されていた当時。
ミュシャの絵は広告として使われていたりしたそう。
広告としてミュシャの絵が使われていたとは、なんておしゃれなんだ!!
と、当時を羨ましく思います。
ミュシャデビュー
ミュシャは、あるとき女優さんの広告を描くオファーがあって、それを描いたことから世の中に一目をおかれるようになったそう。
女優さんのポスターが写真ではなく、画家が描いた絵なのですよ。素敵すぎます。
美しい装飾(模様)と一緒に自分を、絵に描いて表現してもらえるのだからなんて贅沢なのでしょう。
それをきっかけに、ミュシャへの絵の仕事のオファーは後を絶たなくなります。
華やかで繊細な絵のイメージがあるミュシャ。
でもミュシャは、画家人生の後半を華やかな絵ではなく、
故郷の絵を描くことに捧げました。
故郷の為に絵を捧ぐミュシャ
苦難の背景を通り抜けてきた故郷の歴史を
いくつもの巨大な絵に収めたスラヴ叙事詩。
日本でも公開されました。
スラヴ叙事詩は、これまでのミュシャの可憐な絵を知っていると、その対照的な暗い画面に驚きます。
でも私が素敵だと思うのは、
ミュシャは悲惨な情景をおぞましい画面に描いて表現しなかったこと。
スラヴ叙事詩に込めた思い
迫力ある絵ですが、決して血が流れているような表現にはしたくなかったのだそうです。
それは、惨劇がただの惨劇として残るのではなく、明るい未来へのかけ橋となるような作品にしたいという、
ミュシャの願いだったそう。
どうにもならない悲しみにつつまれた世の中で、
一筋の光を信じ続けることは、本当に困難なことだったと思います。
細かすぎて描けない売れっ子ミュシャ
ミュシャの前半の繊細な絵に話が戻りますが、
あの精密な絵を描きこむことに、ミュシャ自身も疲れ果ててしまったこともあったみたいなのです。
人気が出ればオファーも絶えなかったでしょうし、
次々と来る仕事の中で、あの精密さを維持したまま絵を制作し続けるのは並大抵のことではなかったのだと思います。
そのことが、故郷へ戻るきっかけの1つになっているのです。
それでも現代まで変わらずの人気のミュシャ。
ミュシャの画風を取り入れて描いているアーティーストの方々も
よくみられますよね。
浮世絵もそうですが、
当時画家の仕事は出版物や印刷物に使われることも多いです。
プリンターにセットしたらあとは自動で勝手に刷り上がる今の時代とは違うので、
印刷物といっても重みがなんだか違います。
現代でも版画、リトグラフなどの技法に取り組んでいる作家さんはもちろんたくさんいらっしゃいますが、
ミュシャの時代ではその印刷の技法に画家が魅了されているというよりは、大量生産のために刷られるといったニュアンス。
(当時は実際に刷る作業を行うのは摺師(すりし)や印刷業者であることが多かったみたいです)
ミュシャのポスターも時代を反映した当時ならではの芸術作品です。
ちなみに、当時の印刷物、大量生産ですから、何枚も同じ絵が刷られるわけです。でも刷られた絵の価値は全て同じではない。
例えば浮世絵であるならば、一番初めに刷られた、まだ版が摩耗していない綺麗な状態で刷られたものが、もっとも価値があるそうですよ。
人生の最後に抱くミュシャの思い
ミュシャは人生の最後に、何を思っていたのでしょう。
華やかなあの美しい絵からは、なかなか想像できない
困難のある人生であったと思います。
でもそれに屈することなく、ミュシャは最後まで心の中に美しい絵を思い描きながら、人生を生き切ったのだと思いたいです。