草間弥生さんはまだ有名になる前、自分は「水玉ひとつで世界に挑む」という決意をされたそうです。水玉です。誰もが知る基本の形。丸い水玉。
今では誰もが知る草間彌生さんですが、お若い頃はやはり
芸術家として名を広めるまで苦労されたそう。
前衛芸術家として社会に対する訴えかけを作品に込めながら、活動されていました。(前衛美術というのは自ら先陣を切って新しい試み、挑戦的な表現をしていくことを指すのだそうです)
草間彌生さんといえば特徴的な赤と白の水玉模様の絵ですが、
お若い頃の作品に「玉葱」という”玉ねぎ”を写実的に描かれた作品がありました。
こういった絵も描かれていたんだなぁと、少し驚いたのです。(それでもやはりどこか草間彌生さんらしく特徴的な画風)
水玉模様の絵
水玉の絵を好む方もいらっしゃる一方でどう解釈したらいいのか
悩む方も多いと思います。
現代アート、抽象的な表現の解釈というのは、専門的なことをあまり知らない自分にはなかなか難しい。。。
現代アートというのは、美術史の流れを知っていてこそ見えてくるそうなのです。
私自身も、理解できるまでに至ってはいませんが、
色々な表現方法がある中であえて「水玉」で挑んでいるのは誰でもできることではないですよね。
例えば、美しく描きこまれた絵画であれば共感する方もきっと多いと思うのです。
でもシンプルで、誰もが知る色と形で、社会へ訴えかけ、有名になる。そのことのほうが難しいように思います。
それに加えて、水玉というのは草間彌生さんにとって切っても切り離せないものだったことも、評価されている理由のひとつなのではないでしょうか。
草間彌生さんは幼い頃から人の顔や、自分の視界に無数の「水玉」が見えたそうで、その体験が現在の画風の元になっているそうです。
同じ水玉。異なる水玉。
「水玉ひとつ」といえど、晩年の水玉の作品では若い頃に描いた水玉とは内容が異なります。
お若い頃はどちらかといと、社会に対しての挑戦や、反発やメッセージなどをこめて制作なさっていたと思いますが、最近では水玉ともう1つ「カボチャ」が出てきます。
黄色いカボチャに黒の水玉。
インパクトもあって、かわいいですよね。
(カボチャって音の響きもカワイイ。カボチャ・・・かぼちゃ・・・)
あのカボチャ、草間彌生さんご自身を重ね合わせているのだそうです。
カボチャの私に水玉がいっぱい。
林檎やイチゴじゃなく、カボチャ。
そんなカボチャを、水玉を、あるとき可愛く、愛らしく思えたそうです。
幼少期は苦労されていたそうなので、たくさんのことを抱えていたのだと思いますし、見えてしまう水玉のことも、悩んで生きてこられたのだと思います。
そんな自分自身を今になってようやく、愛らしく思えた。それがあの水玉のかぼちゃなのだそうです。
もうひとつ思うのは、草間彌生さんは売れようとして、売れる絵を作ろうとして、芸術家になろうとしてなったというよりも、どちらかというと、描く事で自分を救っていたようにも感じられます。(幼少時代、絵を描き始めた頃は特に)
自分にだけ見えてしまう世界を、絵に吐き出すことが、なんらかの支えだったのではないでしょうか。
なんていう、個人的な想像をめぐらしてみました。
映画や小説の物語を楽しむときみたいに、それが正しい解釈なのかどうなのかよりも、「こうなんじゃないか、こういうことを表現したかったんじゃないか」と想像してみるのが私は楽しいのです。
最後にもうひとつ。
草間彌生さんが世界に評価されたきっかけ
今では超有名の草間彌生さんが、その才能を世界に見いだされた理由について。
アンディーウォーホル(アメリカのポップアートの画家。ポップな色合いのマリリンモンローや、トマト缶の絵で有名)
のしていた、絵を繰り返し反復する表現があります。
アンディウォーホル発祥の表現方法と思われていましたが、
草間彌生さんはそれよりも早くか、同時期に同じ表現方法を発信していたことが後から分かったそうです。
それが今日の評価へと繋がっているのだとか。
抽象的な絵画はなかなか解釈が難しくて、つい敷居を高く感じてしまいますがもっと単純に、ただカワイイ!っていう、それだけでいいのかもしれません。