自分の絵との向き合い方

自分が絵を描くことに対しての考え方が

どんどん変化していきます。

最近はとても楽に、絵と向き合えるようになったきがします。

肩の荷が下りた感じがして、楽しいです。

(肩の荷、なんて言ってもだれがしょわせたわけでもなく、自分自身で追い込んでただけなんですが^^;)

難しいこと考えるのはもう終わり!です。

 

子供の頃は何も余計なことも考えず

画材屋さんでマーカーや絵具をそろえて

ただただ夢中で描いていました。

 

それからだんだんと、

上手く描けないと感じて

絵が嫌になったり、

また、何のために絵を描いているのかとか

考えだしたりして。

 

”自分はこういう絵が描きたい。

でも世の中では必要とされていない。

今注目される絵は、きっとこういう絵で、

自分の絵は・・・

どうしてら私の絵を見てもらえるんだろう。

見てもらう絵を描くためには

どうしたらいいんだろう。。。”

なんてことを、もう、

ぐるぐるぐるぐる考えてました。

 

そして、

だんだんそういった考えからも抜け出せるような時期に入り、

自分がしたい表現について余計なことをぐちゃぐちゃ考えるくらいなら、

自分の、絵を描く能力を求めてくれる人の為に描こうって思ったりして。

どこかで自分の絵を諦めた部分も

あったのかもしれません。

 

で、更に最近はまたそこから変化がありました。

 

求めてもらえることに応えたいという思いは

今も同じです。

誰かの役に立てるのだとしたら、それはもうとても幸せです。

 

でも、それに加えて最近は、

また自分が描きたい絵を大切にしようっていう

気持ちに向かっています。

1周も2周もまわって、そこに向かってます。笑

 

というのも、

自分の表現が何であるか、なんて

なんでもよくなってきたんです。

 

私らしい表現、私の画風、私の絵、

もう、そういうのはいいやって。

 

描きたい絵なんて、私、その都度違うです。

大胆に絵具を塗りたくりたいときもあれば、

緻密な絵を描きたいときもある。

水彩で描きたい気分のときもあるし、

新しい画材を使いたいって思う時もある。

 

せっかく絵を描くことに、

こんなに興味を持っているのに

「自分はこういう作家なんだ」

「自分の絵とはこういうものなんだ」

「画風は定めていないといけない」

って、

誰が決めたわけでもないのに、

自分自身で可能性を狭めて、

せっかくワクワクできることを

潰すのはもったいないです。

 

評価されなくていい。

理解されなくていい。

なんだかここにきて、ふっきれました。

 

前は、

知ってほしい、わかってほしい、絵を見て欲しいって

正直すごく辛かった。

 

すごく楽になりました。

もちろん、ニーズに合わせていくようにして

絵を仕上げていく人も、

とことん自分の絵とは何かを

突き詰めていく作家さんも素敵だと思います。

でも私はそうじゃないんです。

それはできないんです私。

 

私は、楽しく描きたい。

こころ弾ませて、

子供の頃みたいな目で

画面に向かってただ描いていたいんです。

 

そしてそんな気持ちを絵の上に

乗せることができたらいいな。

 

それだけでいいです。

 

ここからまた、どこに進むのかわからないですが、

最近はこんな感じです。

 

自分の迷い込んだ迷路なんて、

俯瞰して見てみれば

ただ単に、

自分で自分を迷わせているような

ものなのかもしれないです。