これからはもっと良くなるわよね

祖母の体へのダメージが著しく、最近よく病院にお見舞いに行くんです。

ほんの一週間合わなかっただけなのに、その間に輸血やら検査やらが続き、すっかり顔が変わってしまっていた。

丸顔で頭の回転が速く、いつも冗談を連発して笑う祖母。でもその日は、うつむいて一点をみつめたまま、恐ろしいものと向き合っているような表情をしてました。

おばあちゃんは最近のことを覚えるのが苦手なので、昔の話を繰り返ししゃべって懐かしいねーっていう会話をするのですが、終戦記念が近かったこともあり、この間は戦争の話になりました。

でね、おばあちゃんが言うんです。

「当時はね、もう大変だったわよね。でもね、これからの時代はきっと、だんだんよくなるからね。」って。

なんかねー、色んな意味が含まれてる感じがして切なくなっちゃった。

苦しい時代を生き抜いて、今衰えてゆく体でなんとか日々を送っている祖母が、「きっとよくなる」と弱々しい声で自らに語り掛けているようにも感じたし、

良い時代になったけど、まだまだ救われていない課題がたくさんあるということを、語っているようにも思えました。

自国を守るためには、命を捨てざるを得なかった当時の若者たち。特攻は志願ですが、志願せざるを得ない雰囲気であったそうです。同じように日本も、戦わざるを得なかった。当然、当時の若者は何も、気狂って、本気で神のために戦いを選んだわけではありません。支配が差し迫った中で、家族を守るためには、日本を守るためには、戦いを余儀なくされ、士気を高めるために、天皇を筆頭とし、一丸となる必要があった。

当時の女学生の役割のひとつとして、戦いへ行く兵隊さんたちへ励ましの思いを込めたお手紙を送るというものがあったそうです。その返事として、兵隊さんたちから届いたお手紙が祖母の家にもありました。まぁ皆、若いのに習字の先生かと思うほど字も綺麗で、凛とした心が伝わってくる文章です。

祖母は、爆撃で炎が上がる町の中を、走って逃げたそうですが、途中でお米を入れた袋を落としてしまったそうです。貴重な食糧。皆が食べ物に飢えている時代です。それにもかかわらず、後日、お米の袋は祖母の元へ届けられました。(お米の袋に名前を書く風習があったそうです)危機的状況にもめげずに、支え合おうとする精神は、どこからくるのでしょう。

戦争は、遠い過去の話ではありません。その時代のすぐ後に、延長線上に、私たちは生きているんですよね。

個人が尊重されることを皆が訴えられる時代になってきている。でもね、まだまだ悲しい歪みはこびり付いているわけで。

おばあちゃんが言った。

「今度はあなたたちが花よ」って。

次の時代をあなたたちが生きるのよって、私はそんな意味に捉えました。

私はこの時代を、わずかにでも良い時代へと創造することはできるのでしょうか。自分の中に渦巻く感情さえ対峙できないで必死だというのに。

でもね、あきらめて全てを放棄したら無意味になるだけだからね。希望を持って今日を精一杯に過ごしたいと思います。

病院のベットで何もできずにいるおばあちゃん。それでも尚、孫である私に学びを与えてくれるのでした。