自尊心は高ければ良いのか

自尊心が低くて悩む人は多いです。(高くて悩む人は少ないと思う。なぜなら自分が好きだから。)自分自身にある程度の愛着を持てるのは生きる上で必要不可欠なことなのかもしれませんが、自尊心が低いことにも、メリットがあるように思うんです。

若者の無茶

年齢が低くなるほどには自我への愛着は薄くなります。赤ちゃんなんて自尊心どころか、自他の区別も曖昧。母親と一心同体の世界を味わえるのもこの時期ならでは。

まだ人生スタートしたばかりで自己確立の途中にある子供たちは、自己を尊ぶというよりも、生命維持欲求みたいなものが強いのではないかと思います。

自分で選ぶ、自分の人生の選択、という感覚を味わう経験値もまだ低いので、人生への愛着のようなものが薄い。

ゆえに若者は無茶ができる。

多少行きすぎたこともしてしまえるので、そういった幅広い経験値の中から、肌感覚で中道を選び、ようやく大人になっていきます。

仮に、生まれた時から人生に誇りを持っている赤ちゃんとかいたら、0歳にして老人のような貫禄を持ち合わせているはず。どんな大人になるのかな…。

保守的な大人たち

大人になるにつれて、自分の人生への愛着は自ずと深まります。辛い人生だったとしてもです。その培った自尊心は、不安や恐れとして姿を表すことも。

歳を重ねるほどに自分の歴史を嫌でも背負うことになるので、大胆に一線を超えるような行動をしようと思っても不安が出てセーブが効くのでできない。守りに入るんです。

自分が決めて選んだ人生、自分の経験。

人生への愛着、自尊心。

大人はかつての危うい子ども時代に比べて、安全を選ぶようになったり、落ち着いた行動をするようになったり、丸くなります。そしてそんな自分を、自分のいる場所を、守りたくなってしまう。

守るものが増えると、さまざまな不安も増えます。自尊心があるために、”不安”という適切な反応が出る。

自己防衛機能装備

自尊心が低くて、周りが怖くて、人に嫌われるのが怖くて、自信がなくて、勇気が出なくて…という状態は、自分への誇りを、既にある程度獲得している状態だと思います。

自分を守っているからです。

自尊心が無いのではありません。自分の心が大切だから、防衛するんです。嫌われないように、傷つかないように、大事に、大事に。

心が危険にさらされると察知しているときに、不安という盾が現れるのは何にもおかしくない。

低すぎる自尊心

自尊心があまりに低い場合どうなるのかというと、ある意味怖いものが無くなるのです。

何も守る必要が無くなるので。

自分への尊厳とかどうでもよくて、自分がどうなろうと知ったこっちゃない。何でもできてしまう。

私は今振り返ってみると、自尊心が未熟な状態ってある意味無敵だったのでは?とも思えてしまいます。今の方がよっぽど怖がりです。なんたって自分が大切だから。

本当に自尊心が無いと、多分何も考えず突発的な行動を繰り返します。

高すぎる自尊心

自尊心、高ければいいものでは無いのが難しい。自分を最高だと思っていても、同様にみんなも最高に思うなら良い。でも自分を神のように思って、他人を見下していたら大変。こちらも低すぎる場合同様、怖いものが無くなるのではないでしょうか。自分以下の存在しか周りにいないという世界だと思うので、それはそれで辛そうだなぁ。

自尊心パラメータ、見えるように表示してくれませんか

わたしいつもこの手の話題で思うのですが、自尊心とか自己肯定感って感覚でしかないので、いまいちはっきりしないなぁって。自分で書いておきながら言うのも変ですが、〇〇だから〇〇。という心理分析って本当なのでしょうか。だって見えないんです。どこにあるの自尊心。

自尊心、高められないの?

自尊心が低いことに悩んでいる場合に、自分を大切にするためにできること。

1番手っ取り早いのは、”生きること”ではないでしょうか。

生きることが辛いのに”生きること”だなんて。

逆説的なんですが、そう思います。。

生きることからは逃げられないです。

いえ、究極、生命活動から物理的に逃げることもできてしまいますが、命からは逃げられません。(この微妙なニュアンスの違いを伝えたい。)

こうして悩んでいる時間さえも、糧になっています。今まさに、絶賛自尊心向上中なのではないでしょうか。明日の私は今日より1ミリくらいは、大人になっていることでしょう。諦めなければ。

何か素晴らしいことを達成するためではなく、悩むために、命があるのでは。