私のコンプレックス。不器用すぎて生きづらい。

こちらのサイト運営や創作系の活動を始めてから数年。

先日初めて自分のコンプレックスについてスタンドFM(ラジオ配信アプリ)で語ってみました。大人になってから診断された発達障害ADHDについて。

生きづらさにラベリング


なんでこんな人生苦しいんだ!生きるの難しすぎやしないか?!と10代の頃から悩みもがいた私は、最近はこのADHDという診断を活用しています。

一応お医者様のお墨付き。ちゃんとテストしてます。

ADHDという名称を用いたとき、確かに“私”の性格の一部は説明できます。でもどこまでいってもほんの一部の側面を語っているにすぎないのです。

なので、私の中で発達障害というラベルはごくごく小さなものなのという認識です。(他にもあらゆるラベルが貼り付きそう。)

絶対秘密

ただ、このADHDに限ったことではありませんが、自分のこのダメさ加減を、自分の得意としている絵や創作のフィールドに持ち出したく無かったのです。バレたく無くて、隠して隠して、一人で勝手にオドオドしていました。自分自身が受け入れられていなかったんでしょう。

でも最近ふとしたことをきっかけに、語ってみようかな、と思ったのです。

怖いですが。とても怖い。書いている今も、そのうちこの記事を消すかもしれないと思いながら書いています。

やっぱり、弱くて歪んだ人間だと思われたくないという、変なプライドが出てきてしまって。でも無理に隠そうとしていると変に意識をしてしまって、窒息しそうになるんです。

そろそろ新鮮な空気を吸いたいなと。

ADHDとは??

ここでADHDについて簡単に説明すると・・・

前頭葉の機能が抑え気味である、脳の障害です。

50〜70%が遺伝、その他、添加物が原因?とか、不明な部分も多いそう。

代表的な症状は多動性、注意欠陥、衝動性です。

落ち着きがなく動き回ってしまったり、ケアレスミスの多さ、衝動的な行動などが挙げられます。

ただ、個人差があり、日常生活のどんな場面で困難さを感じるかは、人それぞれです。この症状だけ聞くと、私自身に当てはめた時、あまりピンと来ません。

多動性については、身体に現れる場合が多い中、私は脳内でのみ起きているようです。思考があちこちに飛び、高速回転しているのですが、身体には特に現れません。(見た目としてはどちらかと言うと、目線の動きなどが独特のASDっぽい雰囲気があるような気がしている。)

そして代表的なADHDの特徴は、ワーキングメモリーの低さ。ワーキングメモリーは、短期的に記憶を横に置いて、別の思考をする脳の機能です。

わかりやすい例を挙げると、暗算をするときに使います。1の位の合計を頭の片隅に置いて、10の位を計算する、といった具合に。頭の片隅に保存しておくことが難しいので、10の位を計算中に、1の位で出した答えは消え失せてしまいます。

この機能が低いと、同時に複数の作業ができません。

1、時間を気にしながら、2、身支度をする

等、ある程度複雑な処理が必要な行動は、同時に処理できないのです。身支度に注意を注げば、時間を忘れ、時間を意識すれば身支度が疎かに。

追い詰められれば追い詰められるほど、どんどんできなくなります。

障害のため治すよりも、困難にどのように対処して、和らげるかが鍵なのです。(薬物療法もあるにはありますが、根本解決にはなかなか。)

非常にめんどくさいです。

ただ、ADHDはデメリットばかりではなく、独特の個性を発揮しやすいという、ポジティブな側面も。変えることができないのなら、活用してしまえ。

ADHD≠アイデンティティー

近年は発達障害や、その他にも、〜障害、〜症など様々なメンタル系名称が出回っていますが、これで救われる場合もあれば、かえって苦しむ場合もあり、私はあまりカテゴリーに囚われないようにしています。

ラベルを貼ることによって、対処法が見つかったり、必要以上に自分を責めなくて済むようになるのは素晴らしいけれど、一方で名称だけが一人歩きしてしまうことも。

まるで診断名が、その人物のアイデンティティーそのものを語っているかのような錯覚に陥りやすいと思うのです。メンタル系の診断基準も名称も、どんどん新しいものへと進化します。10年、20年後にはもっと多くの人が活用して救われるようなものが、出てくることだってあるかもしれない。

それに、これは私の考えなのですが、、、みんな何かしら病んでると思うんだよね。(すごく勝手な見方ですが。)歪んだ命の寄せ集めみたいなものだと思うんです。この世界。なのに、なぜか自分の弱さに関しては人一倍敏感に反応し、隠そう隠そうと、否定してしまうのですよね〜。

凸凹とかなり歪んでいますが

これからはこちらのブログにも、私のダメさ加減を書いていきたいと思います(怖くて逃げない限り)自分が楽になるためです。そして、画面の向こうの、どこかの誰かに、何か届いたら嬉しいなという、自己満足な淡い期待もちょっと込めて。